私の高校時代の思い出は、いつも生ゴミの酸っぱい匂いと、足の踏み場もない部屋の光景と共にある。物心ついた時から、我が家は物で溢れていた。母は物を捨てられない人で、父はそれを咎める気力もないようだった。学校から帰ると、玄関には通販の段ボールが積み上がり、リビングの床は服や雑誌で埋め尽くされていた。友達から「今度遊びに行っていい?」と聞かれるたびに、心臓が凍りつくような思いをした。「うち、散らかってるから」と嘘をついて断るのが精一杯。本当は、みんなのように自分の部屋で好きな音楽を聴いたり、おしゃべりしたりしたかった。勉強しようにも、机の上は物置と化し、静かな場所は家の中のどこにもなかった。一番辛かったのは、そんな親を軽蔑してしまう自分と、それでも親を見捨てられない自分の間で、気持ちが引き裂かれることだった。どうして普通にしてくれないのかと何度も思ったが、母の悲しそうな顔を見ると、何も言えなくなった。高校三年の冬、進路相談で担任の先生に「家に帰りたくない時がある」と、ぽつりと漏らしたことが転機になった。先生は驚きもせず、ただ静かに私の話を聞いてくれた。そして、スクールソーシャルワーカーという人につないでくれた。すぐに家が片付いたわけではない。でも、私の苦しみを理解し、味方になってくれる大人がいると知っただけで、分厚い雲の隙間から光が差したような気がした。あの息の詰まるような家での日々は、今も私の心に影を落としている。けれど、あの時、勇気を出して誰かに話したことが、私の人生を諦めずにすんだ理由だと確信している。